スポーツでも一球入魂などという
自分の魂を何かに込めることができたら、どんなに素晴らしいだろう
昔、仏師がなぜ自分の彫った仏像を崇めることができたのかについて、疑問に思ったことがある
だって普通に考えたら、自分の作ったただの人形なんだ
もちろんいい出来ならば、大切に思うだろうが、それはどんなに良くても自分の分身程度の価値にしかならないと思う
それを仏師たちは、恐らく自分の命よりも尊重していたのだ
これって本当にすごいことだ
たぶん彼らは、自分を厳しく律し、己の身に神を宿して、心血を注いで魂を込めたから、自分の作品であったとしても、それはもはや自分の作品という領域を超越したと考えていたのだろう
そこには鬼気迫るものを感じざるを得ない
そして、それだけ自身を追い込んでできた仏像であるから、それに手を合わせることができたのだと思う
それだけの素晴らしい何かを、自分も後世に残せるだろうか
でも、自分の人間力を高めて、全身全霊で毎日己の人生と向き合っていたら、何かは残せると信じてる
人間は彫刻だと聞いたことがある
自分を理想の形にするには身を削っていかなきゃならない
当然、身を削る時には痛みが生じるだろう
ただ、その努力の先に、美しい自身の姿があると思えば、やる価値は充分あると思う
人間全てのものやことに全身全霊を捧げることは不可能だ
それでも自分が人生を賭けてもいいと思えるほどの何かに出会えたら、その時はそれにありったけの熱い魂を込めよう
魂を込めることができたなら、それを大切に思えるはずだ
自分が大切に思わないものを、誰も大切にしてくれない
もちろん、自分という存在も含めて
たとえ、没頭できるものが見つからなくても、自分という存在にさらに魂を吹き込んでいけば、自分自身が偉大な作品となるのだから、自分を信じて、自分の身を削って、魂を込めればいい
そうしていけば、自ずと他人から尊敬されるし、自分も己の力が自分一人だけのものではないと感じるから、自分も含めたこの世界に敬意を払えるようになる
理屈では到底説明できない、人間の全てを超越したものが、この世にはまだまだあるんだ
今はまだ大したことなくても、少しずつ真剣に取り組んでいけば、何かこれまで見たこともないような世界が見えるような気がするんだ
まだまだ肌で感じるくらいだけど、それを生きてるうちにしっかりと見てみたい
そしていつか、魂と魂を本気でぶつけ合えるような人に出会いたい