うつの心を震わせろ〜成功への道標〜

人生について真剣に考えてみる

自由からの解放

人は本来、生き方だけでなく神すらも選ぶことができる。

だからこそ、あまりに自由すぎて、どうやって生きていけばいいのか見失う時がある。

自分が何をしたいのか、分からなくなるのだ。

そうかと思えば、こうすべきやこうでなければならないと自分を偏った価値観で縛ろうとする時もある。

人生とは選択の積み重ねである。

一度選択を間違えてしまうと自分の人生という作品が恥ずべき失敗作になったように感じるかもしれない。

それが後悔というものであるのだが、後悔するのも選択だ。

後悔は結果論であるから、その原因を考え、次に活かせばそれでよいと思う。

好きなことならいいが、もし自分に耐えられないほどの負荷をかけ続けなければ、理想の自分になれないなら、向いていないのかもしれない。

自分を許してやる勇気も必要だ。

僕たちは生きていれば、大きな選択を迫られる時が必ず何度か来る。

その選択を乗り越えていくたびに、自分のその先の人生の可能性は狭まるかもしれないが、その分だんだんと自分の生き方が決まっていく。

前を見ればいくつもの分かれ道だが、振り返れば一本道。

人生はどれだけ進んだかではない、どんな景色を見てきたかだ。

人生からの逃亡

産声をあげた時、その衝撃で前世の記憶を失ったような気がする。

それからは、心臓の鼓動に追われるように走ってきた。

そして今では、自分の身体の置き所さえ分からず、ぎこちない動きをしては震えている。

前世の僕は今の僕を見て、どう思うだろう。

来世の僕は今の僕を思い出して、何を感じるだろう。

どちらの僕にも恥じない生き方をしたい。

前世も現世も来世も、そんな輪廻から抜け出した世界でも、自分という魂からは逃げ出せないのなら、愛してやるしかないじゃないか。

自分という存在への疑念

僕は本当はどんなふうに生きたいのか。

僕は本当に存在するのか。

僕は僕がどうやってこれまで生きてきたのかすべて知っているはずなのに、そんなことすら分からない。

無駄なことと知りつつ、僕がいなくなった後の世界をイメージする。

そうすれば、自分勝手に生きてもいいような気もする。

でも、また明日の朝目覚める自分を想像する。

すると、やっぱり周りに気を遣って生きている自分が見える。

毎日ハッピーに生きることのなんと難しいことか。

自分で自分が分からない。

分かっているのは、みんなそうだが、幸せになりたいという気持ちがあることだけだ。

現在過去未来

後悔とは、過去への期待である。

それは、未来への諦めでもある。

不安とは、未来への恐怖である。

それは、過去との決別でもある。

嫉妬とは、現在への不満である。

それは、他人への依存でもある。

焦燥とは、現在への警告である。

それは、自己への挑戦でもある。

 

 

カッコつけ

好きな人の前だと、自分をよく見せようとしてしまう。

特に予定もないのにワザと誘いを断ってみたり、目が合いそうになるとあえて目線を外してみたり。

そんなことがいい結果に結びつかないことなど、百も承知なのに、そんな態度を取ってしまう。

たぶん僕は自分に自信がないのだろう。

だから、見栄を張ったり、格好をつけたりしないと、不安でたまらないのだ。

素のままの自分を嫌われたらどうしようもないが、鎧を纏った偽りの自分ならいくら嫌われても、痛くも痒くもない。

でも、そろそろ鎧を脱いでみようと思う。

もう本当の自分の顔も忘れつつあるけれど、それを思い出すためにも、ありのままでいられる努力をしたい。

この年になってようやく自分を好きになれそうな気がしている。

憎む心にさようなら

憎むというのはしんどいし疲れる。

憎み続けるならなおさらだ。

憎むとは、自分が富んでもそれには分け与えないということだ。

憎むとは、自分が窮してもそれには寄りかからないということだ。

憎むのは、過去に囚われている証である。

今年はすべてを愛そう。

 

 

チャレンジ精神

なんでも面白がれる、チャレンジ精神が旺盛な人は素晴らしい。

ただ、現状に満足する時間というのも、我々には必要なのではないだろうか。

あれが足りない、これが足りない、と言い出したらキリがない。

そうしているうちに飢え続けた挙句、どこかで必ず限界がきて、乾きが絶望に変わってしまうような気がするのだ。

だからこそ、何か一つ達成できたら、よくやったと自分をほめ、満足する日を増やしていきたい。

自分を満足させることはなかなかに難しいし、そのために努力することも難しいが、チャレンジ精神をもって挑み、そして勝つ。

自分を納得させられるだけの努力と成果をあげ、自信を高めていく。

それが人生なのではないか。