死ぬ気があるなら死ぬ気で生きてみろって言う人がいる。
でも、どうやったって生きていけそうにない時はあると思う。
それに、死にたいと思っている人は、もうすでに死ぬ気で生きているはずだ。
死は最大の防御である。
死という最期があるから、僕たちは精一杯生きていける。
だからこそ、自殺した人を責めることなんて誰にもできないのだ。
じゃあ、死にたい人は死ねばいいと思うのかと問われれば、そうは思わないとはっきり言える。
人類の歴史は、前の世代の人間が次の世代の人間へと何かを伝えたり遺したりして、時代を繋ぐことで成り立ってきた。
だから、たとえ死ぬとしてもその前に遺書以外の何かを遺してほしいと思う。
その人が生きてきて得た気づきや世界観を見せてほしいと心の底から思うのだ。
それが深みにはまった者の使命でもあると思う。
満足のいく生きた証をこの世界に刻んでなお死にたいなら、もう僕には引き留めようがないけど、本当に満足している人は死にたいなんて思わないはずだろう。
死にたいと思っているなら、最後に自分の納得のいく何かを遺すことを考えてほしい。
自分には何が遺せるか、それだけを考えて生きてほしい。
それがきっと生きがいになるはずだから。
僕にとってはこのブログこそ、その生きがいになっている。
自分の納得できるモノになるには、どうやら人生は短すぎるようだ。