哲学を人について考えることとするならば、兵法は人への対処法である
つまり、兵法は哲学の究極であると言える
そうであるのに最近は、哲学を無視して兵法ばかり重視されているような気がしてならない
それにつられて多くの人は、自ら考えることをせず、それよりも先に対処法や勝ち方を学ぼうとしているのではなかろうか
これは、理論も分からず方程式を使っているようなもので、それでは物事の本質は到底理解できない
みんな自分の知っている方法だけで解決しようとして、少しでも難しいと感じたり、知らない問題が出てくると、答えの無い問題もあるなどと言って諦める
違うんだ
分からなければ、自分で分析して自分なりの方程式を生み出していくんだよ
そうしなければ、ただ先人たちの知恵に甘えるばかりで、自分たちは何も後世に伝えることができないじゃないか
戦わずして勝つという言葉を、戦わない理由にしないでほしい
彼を知り己を知れば百戦殆うからずと言う
敵と味方を理解し、己のことも理解できれば、他人も自分も操れるようになる
とにかく考えて考えて考えまくれ
考えをやめた者に真の成功はないのだ
其の疾きこと風の如く、其の徐かなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如く、知り難きこと陰の如く、動くこと雷霆の如しという言葉を知っていても、なぜそうなのかを自分の頭で考えてみなければ、ただ知っているだけということになる
処世術を身に付けたところで、自分が何者かなど分かりはしない
不器用でいいから、自分なりの答えを出す
そして、それを疑う
さらに、間違いがあれば直す
その繰り返しが人を成長させ、いずれは真理に近づき、偉大な人物を生み出すのだ