何事においても、0か100かで物事を考えてしまう。
中途半端ならば、最初からしない方がマシだと思ってしまうのだ。
そのような完璧主義で白黒はっきりさせねば、気が済まない。
しかし、そんな考えこそが自らを生きにくくしている要因の一つなのではないかと、最近思うようになった。
完璧を目指すことは素晴らしいことのようだが、それを達成できないからと、すぐに諦めてしまっていては、人生において自分が生きた証を残すことなどできるはずもない。
最初から完璧にできるかどうかなんて誰にも分からないし、もちろんどこからを完璧と捉えるかも人によって違うだろう。
だから、もっと完璧の基準を下げても良いと思うのだ。
例えば、「今日も一日無事に過ごせたなら完璧」としたってじゃないか。
それに、完璧のレベルなんて上げていけばキリが無い。
また、目標を達成できるかどうかは、期限さえ決めなければ、それを諦めるまで、もっと言えば死ぬまで分からない。
だから、人生を賭けた大きな目標であれば、期限を決める必要もない。
そして、日々の小さな目標に関しては、0でなければ良しとするくらいの心の余裕を持ちたい。
1でも進む事ができれば、明日へ望みを託すことができるのだから。
無論、0の日があったとしても、それで自己嫌悪に陥ったり、自暴自棄になる必要はない。
あくまで自身が目標を管理しているのであって、目標に縛られ、苦しめられることはあってはならないのだ。
自身のことをもっと達観視できるようになれば、己の完璧主義や自暴自棄といった特性ですら、コントロールできると信じている。
自分の理想や過去の実績と現在の自分の力量を無理に比較するよりは、今この時の自身のできることをすれば良いのだと思う。
ただ一つはっきりしていることは、生まれた時の自分を0%とすれば、今この時の自分は必ず100%であるということだ。
現在の自分こそが、これまでの自分を最もよく知る存在である。
だからこそ、私には己を最もよく知る者として、現在の己の意志を尊重した上で、まだ見ぬ未来へ己を導き、過去の自分に恥じぬように生きていく責任がある。