生きていると無性に寂しさが込み上げてくる時がある。
周りに人がいないわけではないのだが、なぜか孤独感に苛まれる。
それは、やはりお互いに理解し合えるような存在がいないからだろう。
そのような存在を得ることは難しいが、得られれば日照りに雨を得た思いとなる。
自分の心の渇きを潤し、無味乾燥な己の人生に彩りをもたらしてくれる存在を得るためには、当然自身も努力を惜しんではならない。
もっと自分の考えを表に曝け出さなければ、自分のことを見てもらうことすらできない。
行動だけでなく、言葉でも自分の気持ちや考えを表すと同時に、相手への思いやりをしっかりと持つ必要がある。
相手の立場で物事を考えられるような、俯瞰的な視野を持つには、豊かな想像力を育む必要がある。
豊かな想像力があれば、固定観念に囚われることもなく、さらに自身や既存の価値観を押し付けることもないだろう。
ただし、自身の中での正義は持たねばならない。
なぜなら、いかに想像力が豊かであっても、自分の意見のない者、もっと言えば考えの核となる信念の無い者は、当然誰からも理解してもらえない。
たとえ自分の考えが多数の意見と異なっていたとしても、揺るがぬ信念と他者を思いやる度量があれば、信頼できる味方ができるはずだ。
さらに心を許せる友を求めるならば、時に恥ずかしくとも弱味を見せる勇気を持つことも大切になるだろう。
そうすれば、その友の前では自然体でいられるようになると思う。
互いの長所だけでなく短所すら敬愛し、そして高め合える存在を求め続けていれば、いつかこの心の穴は埋まると信じたい。