自分を「普通」の基準とすれば当然自己中心的となる。
しかし、自分の考える普通を「普通」としたとしても、やはりそれは主観的で自己中心的と言わざるを得ないだろう。
統計的なデータや数値に基づいて決められる「普通」に関しては、その平均値である上に客観的であるから問題はない。
問題は、地域による文化や慣習などだ。
それらも数値化しようと思えばできなくはない。
たとえば、人口や土地面積、年月などによって、順位をつけることは可能であり、その一位を「普通」と定義することはやろうと思えばできる。
しかし、どのデータを基に数値化するのかによってその順位は大きく変わる上に、どれが最も真実に近いのかは誰にも分からないのである。
そもそも、そんなもので「普通」を決めても仕方ない。
それで一位になったからといって、それが最も優れているわけではないし、たとえ狭い地域の少ない人たちだけの慣習があったとして、それが彼らにとっての「普通」ならば、それを尊重するべきなのだ。
郷に入っては郷に従えという。
それぞれの文化、慣習、考え方を尊重した上で交流していくことが大切だ。
自分にとっての「普通」を他者に押し付けることは決してしてしてはならないし、また自分の「普通」を恥じることもない。
互いに受け入れ合うことができれば、世界中が一つになることも夢ではないと信じ、そうなることを願っている。