眠る瞬間。
夢の始まり。
満腹になった一口。
最後にした咳。
許される遅刻の時間。
そんなあやふやなものが多いこの世の中でも、やっばりその境界線のギリギリを知りたくなってしまう。
なぜなら、そこに人の善悪に対する感情のヒントがあるように思うからだ。
以前にも述べたが、この世に絶対的な善悪などはなく、あるのは真偽のみである。
しかし、間違いなく人はそれぞれ善悪のセンサーを持っていて、そこには様々な要素が入り込んでいるため、明確な境界線を持たない人が多い。
出来うる限り真偽によってその曖昧な部分の輪郭をはっきりさせることで、なぜそれを善いあるいは悪いと思ったのかが客観的にも分かるようになると思う。
つまり、今曖昧に善悪を押し付けているものを、きっちり正しいことと間違っていることに分けることによって、不公平を無くすことができると思うのだ。
もちろんあやふやなままでいいこともたくさんあるから、すべての事象を白黒はっきりつける必要はない。
感情すべてに理由をつけていたらロボットみたいになってしまう。
だから、自分の中で大きな感情や不思議な感情が芽生えたら、その時はじめてなぜそう思ったのかを考えればいいと思う。
この場合を善と捉えて、この場合は悪と捉えて、それ以外は気にしないということが正確にできるようになれば、人間として一本筋の通った人になっているだろう。
なぜなら、善悪はその人自身が何を大切にするかで、大きく変わってくるからだ。
さらに善悪を真偽にあてはめるため、あらゆる境界線を見極めた上で、慎重に真偽の判断を下しながら、自分の身に起こる一瞬一瞬の出来事を大切に感じて生きていければ、傑物になる。
どこからが正しくてどこからが間違いなのか、その境界線を知ろうと挑み続けることが、なにより大切なのではないだろうか。