うつの心を震わせろ〜成功への道標〜

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詭弁やきれいごと

悪いことがあれば良いこともあるなんていうのは、詭弁なのかもしれない。

悪いことばかりやってきて、良いことは一向にやってこないと思っている人もたくさんいるだろうからだ。

頑張っていれば、良いことがあるというのも詭弁だろう。

残念ながら、自分がいかに精一杯努力しようとも、他者がそれを上回っていれば、なかなかその努力は認められないからだ。

こんなふうに世の中には、そんな詭弁やきれいごとで溢れかえっている。

それはなぜか?

正義に勝ってほしいという多くの人が当然のように抱く願いを、その言葉があたかも代弁してくれているように感じるからだ。

つまり、詭弁やきれいごとであったとしても、それが真実だと信じたい、あるいは、その言葉にすがってさえいるのだ。

我々は、一つ一つの言葉の真偽をもう少し冷静に確かめる必要があるのではないだろうか。

もちろん言葉には力があるから、強く信じることで、それを現実へと導くことができる人もいるかもしれない。

ただ、どんなに言葉に力があろうとも、生きている人間の強い意志を動かすことは難しい。

ましてや、見せかけだけの言葉ではなおさら人の心は動かせないだろう。

人の心を動かせるのは、物事の本質を正確に捉えた上での、真理に近い言葉や行動だけではないだろうか。

その人がただ欲している言葉を言うのは簡単だ。

しかし、古来より「忠言は耳に逆らえども行いに利あり」と言う。

その人にとって本当に為になる言葉を選ぶ事が、必要になってくるだろう。

当然、それで嫌われることもあるだろうし、時には耳触りの良い言葉を使った方が良い結果をもたらす状況もあるかもしれない。

自分と相手との関係や周りの状況を把握した上で、己の正義を貫くことが大切なのだ。

詭弁やきれいごとを使えば、最初こそ騙されるかもしれないが、すぐに化けの皮がはがれる。

だから、上辺だけの言葉や行動のみで、人と接してはならない。

落ち込んでいる人がいるならば、まず希望を見せ、勇気を与え励まし、その上でどのような心持ちでどのような行動を取るべきかを、示してやる必要がある。

詭弁やきれいごと自体は悪いわけではない。

要するに、それらも使い用なのだ。

しかし、その言葉にすがるだけで、前に進めないならば、やはりどこかでその呪縛から抜け出し、自分自身を拠り所とできるくらいの強い人間へと成長していかなければ、真の成功を収めることは難しいだろう。

自分や周りにいる人を、己の強い信念と行動によって、少しでも幸せにしていこうじゃないか。