お守りやお経などを見たり聞いたりすると、自然とありがたく思うのはなぜだろう
幸せになれる壺なんかを聞くと胡散臭いと思ってしまうのに、どうして神や仏はそれを感じさせないのだろう
それにはっきり言って、お守りがどうやって出来ているのかも、お経の内容もよく知らない
たぶん、遠い過去から多くの人が信じてきたという事実が、ありがたさの正体なのではなかろうか
すると、信じることそれ自体に不思議な力がある気がするのだ
たくさんの人が信じれば信じるほど、その力は強まっていく
そして、その意志が親から子、子から孫へと、これから遥か先の未来まで伝わり続けるのだろう
初めて信じた時、まるで炎のように無から有が生まれる
だから信じるものを決める時は、慎重にすべきだ
燃え尽きることのない炎の火をつけねばなるまい