命を終わらせるボタンがあったなら、もうとっくの昔に押していた
幼稚園の頃から小学生、中学、高校、浪人、大学、社会人のどの期間を切り取っても嫌な事はあった
これらを未だに覚えていて、それを一生背負っていくのかと思うと、自分の人生が運命に汚されてしまったような気がした
そして、一度汚れてしまった人生を綺麗にすることはできないと思っていた
その分幸せでカムフラージュしたいが、ご飯を入れ過ぎたオムライスのように、苦い記憶を包み隠せるほどの幸せがない
でも最近気付いたのはみんな大体そうだってこと
ほとんどがライスの見えてるオムライスで、最悪チキンライスの奴もいる
それでも生きていられるのは、妥協と満足の合わせ技を使っているからだ
逆に、死にたくなるのは自分の過去を真剣に見つめ、それを踏まえて現在から未来を本気で考えた結果なのだ
よく死にたいと言うと、理由もなく死なないでほしいと言う人がいる
ただ、俺は思う
これだけ命と向き合い、未来を考える力のある人が死んで、何も考えずただのうのうと日々を過ごす人が生きているのはおかしいと
後者が悪いわけではないが、前者を失うのは人類の発展にとって大きな損失である
だから、たとえどんなに打ちのめされていても、どんなに詰んだ状況にあったとしても、命のボタンを押さないでほしい
理想と現実のギャップもあるだろう
諦めたくもなるだろう
でも死にたくなるほど追い詰められた経験のある人と無い人とでは、人間としての深みに格段の差が出る
人の尊厳に対する思いやり、命より大切な志、他人よりも自分を責める真面目さが何よりの証拠だ
今はまだ人生という作品は未完成だ
しかも思いもよらなかったところにシミができたりヒビが入ることもある
でも最後にはきっと、それらも作品の見所にできるはずだ
だから、今のままでいい
他人に対する優しさを自分にも分け与えてあげればいい
劣等感や焦燥感にとらわれる必要もない
自信を持って自分の好きな道を進めばいい
したいことが見つからないなら、したくないことをしなければそれでいい
とにかく優しい平和な世界にはあなたが必要なのだ