うつの心を震わせろ〜成功への道標〜

人生について真剣に考えてみる メルカリショップにて著書「作麼生」を出品中です

振り回されるのも悪くない

自分の何がしたいという強い思いがないから、相手に振り回されることもあるだろう

だけど、別にそれが悪いわけじゃないと思う

相手に合わせることを自分の中で楽しめるなら何ら問題ない

ただ、もしそれが苦しいのなら、やはり自分もその場所で踏み止まる覚悟を持たねばならない

自分の意見を言うのは勇気がいる

優しいあなたは、相手を振り回すより振り回される方が良いと思うほどだ

でも、相手もあなたの意見を聞きたがっているかもしれない

あなたに振り回して欲しいと思っているかもしれない

だから、ほんの少し相手を優しく振り回してみるのも面白いと思う

 

なぜ人に偉そうにできるのか

立場が上になるとどうして偉そうにできるのかも忘れて、威張ってしまう人がいる

それは当然、立場が下の者の責任を背負うからであるのに、失敗を部下に押し付ける輩までいる

そして、仕事において立場が上下になっているだけで、プライベートはただの平等な人間であるということを忘れてはならない

そこを履き違えれば、人としての道を踏み外すことになりかねない

会社などの組織において偉くなったとしても、人としては平等なのだという謙虚な姿勢を保ち続けなくてはならないのだ

人の持ってるものが欲しくなる

小学生の時、友達が自分のイニシャルのキーホルダーを買っていた

俺は当時イニシャルというものを理解していなくて、ラッキーナンバーみたいなものだと思って、つい友達と同じキーホルダーを買ってしまった

帰ると家族に笑われたが、今から思えば、人の持っているものが欲しくなったんだろう

その自分のだが自分のものでない不思議なキーホルダーは、姉の友人のたまたま同じイニシャルの子に貰われていった

人の持っているものも、いざ持ってみれば、自分にとっては何の価値もないこともある

また、人より良いものだったり、一味違うものが欲しくなったりもする

自分が憧れている人とは同じものを、自分が負けたくないあるいは勝っていると思っている人よりは良いものを手に入れたくなる

それも結局手に入れただけで満足してしまうならば、自分が気に入ったかどうかで判断するのが良いと思う

あまり他人に流されず、自分らしさを見つけていきたい

「考えるな、感じろ」のその先へ

山登り自体を目的にできる人や、カフェでゆったりできる人は、あまり悩まない人だろう

一見無意味なことや無駄なことを楽しめる人は、実はとても素晴らしい

この世に人間にとって本当に必要なものしか無ければ、きっとこの世は堅苦しくて面白味のない世界になるだろう

前にも述べたが、これからの世界は芸術やスポーツで自己表現をするような世界になると思う

そんな中で、ただ生きているだけでは、楽しく積極的に生きていけない

もっと想像力を働かせて、全身でこの世の中を、地球を、宇宙を感じて、その感じたものを自分の中に通して表現しなければならない

そのために必要なのは自分が無駄だと思っていることをも受け入れることではないだろうか

贅沢であったり失敗であったり、良いことも悪いことも含めて宇宙であり自分なのだ

何でもないことに夢中になれたら、それこそ無限の可能性が広がっていく

 

親友

親友とはどんな存在か

世界中が敵になったとしても味方でいる、そんな存在だと思う

自分が友に何かされたのなら別だが、何もされていないのに見捨てることは出来ない

友が過ちを犯したならば、見捨てるのではなく正してやらねばならない

それが本当の友情というものである

それくらいの大きな心で友と向き合い、辛苦を共にできたなら、どれほど素晴らしいか

最近は軽いノリの人付き合いが多い気がする

心と心で握手ができるような関係を築いていきたい

 

 

選択の自由と責任

大学のとき、飛行機で100人中10人を選んで降ろさなければ、墜落してしまうという状況があったら、あなたならどうするかという問題があった

くじ引き、殴り合い、投票、中には一人ずつ体の十分の一を切り落とすなんてことを言う奴もいた

けれど結構多かった意見は、10人を選ぶくらいならみんなで死のうというものだった

俺は、みんなで死のうという意見を言った奴全員を降ろせばいいと思う

人間一人には一人分の選択権しかない

にもかかわらず、「みんな」ということを平気で言う奴、しかも90人も助かるのに勝手にその命を奪おうとしている奴はどうかしていると言わざるを得ない

みんなで死のうと言うなら、自分は死んでもいいと言っているのに等しいのだから、当然降ろされても文句は言えまい

選択は自由だが、その選択には責任が付き纏う

人の命がかかっているなら尚更だ

もっと我々は、自分の発言に他人を巻き込んでしまっていないかということを考えるようにすべきだ

 

良いことは早いうちに

100人救った人が50人殺すのと、50人殺した人が100人救うのとでは印象が違う

前者は、100人助けたあの人がまさか、となると思う

しかし後者は、50人殺しているんだから当然だとなるのではないか

やはり同じことであってもそれを行う順序によって、印象というのは大きく変わる

どうせ同じことをするならば、絶対に良いことを先にしたほうがいい

もちろん悪いことをしないに越したことはないが、万が一してしまっても、良いことをしていれば味方になってくれる人は必ずいるはずだ

とにかく良いことをしていこう