うつの心を震わせろ〜成功への道標〜

人生について真剣に考えてみる メルカリショップにて著書「作麼生」を出品中です

グループ化の弊害

日本人はこうだとか、何かのグループ全体を一言で表そうとする人たちがいる

確かに大きく見ればそういう傾向はあるかもしれない

けれどそう見るからこそ憎しみや偏見は無くならないのではないか

そういうふうにしか見れない人たちは、本当に一人一人と真剣に向き合えているのだろうか

グループの共通点を無理矢理見つけて、それがそのグループのアイデンティティなのだと勝手に決めつけている

そのグループの中にもそのアイデンティティを持っていない人もいるし、他に素晴らしいものを持っている人もたくさんいるのに、グループに属しているだけで差別しては自分の世界を狭めるだけだとなぜ気付かないのか

グループ化すると整理できたようで気持ちいいかもしれないが、人間はたったの一言では到底表すことができない複雑な生き物だ

人種や民族などはその人を知る上でさして重要ではないのだ

 

他人の不幸は蜜の味?

なぜ他人の不幸を見たり聞いたりすると安心するのだろうか

確かに誰かが失敗すれば、自分は失敗しなくてよかった、あるいはこれで自分も失敗しても平気だと思うだろう

けれど結局自分は自分なのだから、他人がどうなろうと関係がない

人生百年時代と言えど、人を哀れんで優越感に浸っている暇はない

それに他人の目を気にして生きていかなきゃならないなら、百年も生きていたくない

みんなが自分の中で幸せの物差しを持っていれば、他人を気にする必要はないのにと思う

自分の幸せ偏差値を気にし過ぎて、自身の価値を下げていることに早く気付いて欲しい

自分の幸せは自分で決めると言うなら、他人の幸せも他人に決めさせねばならない

みんながそうやって生活できれば、傲慢になったり、卑屈になったりすることなくプライドを持って生きていけると思う

 

他人の意見だけで決めるな

Aさんが、Bさんはこう思っていると、Cさんに伝えたとする

それを聞いたCさんが確かめもせずに、Bさんになぜそう思ってるのかと怒れば、これはおかしいだろう

やっぱり他人の意見だけで、第三者の評価を下すのはよくないし、自分の世界を狭めていると思う

まずは相手に確認すること、それが何より重要だ

それをしなければ、気付かぬうちに自分が相手に先制攻撃を仕掛けた形になるかもしれないからだ

自分の悪口を人伝に聞いたら腹も立つし、あああいつはそう思っているのかと思ってしまうだろう

けれど、それだけで相手に悪意を持つのは器が小さいと思うのだ

他人を信じられない奴は、結局自分も信じられない

自分に自信を持って、はっきりするまで相手を信じられる心の大きな人になりたいものだ

 

分かることと分からないこと

何でもかんでも分からないって言う人がいる

やったことがないから分からない、他人のことだから分からないって言う

けれど、やったことがなくてもそれなりの想像はできるし、他人のことでも同じ人間なら理解できると思う

やったことがなくても想像力を働かせてまずはイメージすることが大切なんだ

もちろん実際にやってみて初めて分かることもたくさんあるだろうが、最初のイメージ通りのことも必ずあると思う

だから、初めから何でもかんでも分からないと言わずに、こうなんだろうなと思うだけでもしてほしい

そんな想像力のある人からクリエイティブな発想は生まれるのだ

本当に自分の今までの経験をもってしても分からないことなのか、考えながら分かることと分からないことの見極めをしなければならない

 

ぼったくり

先日YouTubeでぼったくりの映像を見た

それを見て思ったのは、そういうことをする奴に限って、短絡的で口が悪いということだ

ノリと勢いだけで相手を揺さぶってお金をせしめることができると思ってる

人をなめるなと言いたい

もともと真っ当に生きていけない馬鹿が、純粋な人を騙して得られる利益なんて大したことがない

そもそもリピーターがいない時点で商売として詰んでいるのに、なぜ分からないのだろう

そんな馬鹿のくせに社会の闇を知っているかのように、真っ当に生きている人間を見下しているのを見ると情けなくなる

結局そいつらはこの世の何も理解できていない、ただの井の中の蛙

 

借りた物を返さない奴って、一体?

人から物を借りておいて、返さない奴の気がしれない

その行為は泥棒と変わらないし、持ち主の信用を得ている分、泥棒以上にタチが悪い

また、借りた物を返すとしても、本当は物だけではなく、受けた恩もなるべく返さねばなるまい

信用してもらったのだから、それに応えようとするのが、本来人のあるべき姿ではないか

もちろんだからといって、貸してやったのだからと何かを強要してはならないだろう

ところで、恩返しというのは口で言うより難しい

例えば恩のある人が殺されたとして、その犯人を殺すのは恩返しではない

ただの仇討ちだ

だから、それも恩を仇で返すということになってしまうのではないかと思う

難しいことだが、本当は法律で皆が納得のいく結論を導き出せるようになればいいのだろう

また、とっさの動きで、自分とは関係のない人を敵に回すこともあるかもしれない

ひったくり犯を捕まえたり、痴漢にあっている人を助けた場合だ

そういう例外もあるが、なるべく恩には恩で返さねばならない

それが恩返しなのだと思うし、そうすることで少しでも憎しみの連鎖を断ち切ることができるならそうすべきだと信じている

 

ポイ捨て

道を歩いていると、タバコなんかをポイ捨てする人をたまに見かける

タバコを吸ってるだけで煙を出して迷惑をかけてるのに、とどめにポイ捨てするとはなんと厄介な人だろう

自分の出したゴミの始末すら自分でつけられないというのは、自分のケツを自分で拭けないということだ

そういう人物に大事を任せることはできないだろう

ミスをしても揉み消してしまうか、最悪他人のせいにするに違いないからだ

ポイ捨てをするというのは、プライドを捨ててるに等しいと思う

今一度ポイ捨てがいかにカッコ悪いことかというのを考えて欲しい

そして綺麗な街は、綺麗な心が作るものだ

日本を綺麗な国にしたいものだ