失敗とは何だろうか。
仕事でミスをしたり、友達を怒らせてしまったり、世の中にはいろいろな失敗がある。
小さな失敗の積み重ねは、そのまま不幸感へと繋がってしまう。
しかし、それらの多くは、成功とまでは言えないにしろ、「失敗ではないもの」くらいには変えることができる。
失敗ばかりで不幸だと思い、自分の情けなさに嫌気がさす日もあるだろうが、その失敗に意義を見出し、少しでも失敗を「失敗ではないもの」に変えることによって、不幸指数を減らし、幸福感を高められるのではないだろうか。
たとえば、帰り道にバスを降り損ねて、次のバス停まで行ってしまったとする。
失敗を取り返そうと、そこからいつもより多く歩いて帰ったところで、やはり失敗は失敗なのである。
それならばむしろ、そのバス停の近くを散策したり、気になっていた店があれば、そこでケーキでも買って帰ったりすると、失敗に意義が見つかり、失敗ではなくなる。
さらに言えば、ここでもう一度バスに乗って、いつものバス停まで帰っても気兼ねはないのである。
つまり、失敗に意義が見つかればもはやそれは失敗ではないのだ。
失敗を取り返そうとするのではなく、その失敗を楽しもうとするくらいの心意気を見せれば、自ずと幸福が顔を出す。
人は必ず失敗をするし、過ちをおかす。
結局、失敗とは、失敗を失敗のまま終わらせることを言う。
だから、失敗をしない者ではなく、失敗を意義あるものに変えていける者こそが、真の賢人であると思うのだ。
降ってきた石を磨いて、ダイヤモンドにしてやろうじゃないか。