うつの心を震わせろ〜成功への道標〜

人生について真剣に考えてみる

ハラハラするぜ

この令和の時代には、いろんなハラスメントがあるから、いつ自分がハラスメントにあったり、あるいはハラスメントをしでかすか分からない。

そんな中、よく昭和のやり方が抜けていない人が、炎上しているのをいまだに見かける。

確かにハラスメントはよくないし、無くしていかなければならない。

でも、自分がしたりされたりしてきたことが、今更間違ってましたと言われて、これからは同じようにしてはいけないと言われたら、今までの自分を否定されたような気がするのではないだろうか。

それに、目上の人を敬うのが当たり前で、ずっと敬ってきて、ようやく自分がそろそろ敬われる年齢になってくると、老害と言われる。

そんな時代の変化に、やり切れなさを感じる人も多いだろう。

だから、昭和のやり方を脱却し、令和の当たり前を受け入れて、自分はされたけれど、自分はしないあるいは、自分はしたけれど、自分は強要しないという精神の人はとても立派で尊敬に値すると思う。

最近は、ちょっと嫌なことがあるとハラスメントですよと相手を脅すハラスメントも出てきたように、だんだんとハラスメントが暴走しつつある。

人間関係を円滑にする方向へ向かっていたはずなのに、今はどうもぎこちなくなってしまっているように感じる。

大切なのはそれぞれが相手を思いやり、お互いにこの人は私を傷つけないと思わせる信頼関係を築くことなのではなかろうか。

なぜ嫌なことを思い出すのか

どうしても嫌だったことが頭から離れない。

そして気持ちが沈んでいるせいだろうか、良いことがないかを探してしまう。

そうなるのは当然幸せになりたいからだろう。

それと同時に今は幸せだと思えていないからだろう。

今辛くてしんどいのは、あの時のあれとかこの時のこれなどが原因かもしれないと、考えてしまう。

他にも、あーこんな嫌な気持ちになったこと前にもあったなー、って昔を思い出す。

こんなに自分の人生悪いことばかり起きているのに、とりたてて良いことなんてひとつもないって、いじけてしまう。

どうしたら、そうならずに済むのだろう。

思い出してしまうものはどうしようもないけれど、どうせ思い出すなら良い思い出がいい。

嫌なことを思い出すのは、もう二度と同じような嫌な思いを自分がしないように、自分自身で自分の心に刻み込んでいるのだろう。

だから、あえて些細なことでもいいから、幸せを見つけて無理矢理思い出す作業をしてみようと思う。

嫌なことを思い出したら、一つでもいいから良いことや楽しかったことを思い出すようにする。

それだけで自信が出てきて、自分を愛せるようになると本気で信じて、楽しく生きていく。

 

間違いさがし

彼らは誰かが失敗するのを、ハイエナのように狙っている。

彼らは一瞬の隙も見逃さない。

彼らは急所や傷つきやすい箇所から襲う。

彼らは強きものに阿り、常に安全な場所にいる。

彼らは心臓を喰らいながら、「少ししか食べていないから大丈夫だ」と言う。

彼らは「みんな」と「わたしたち」を多用する。

彼らは周りの顔色をうかがいながら、周りに遅れないように行動する。

彼らは自分の言ったことを覚えてなどいない。

彼らは優しい顔をして毒を吐く。

彼らは自分に良識や義理と人情があると思っている。

彼らは飽きっぽいが頑固だ。

彼らは自分が目立つことばかり考えている。

彼らは自分がユーモアに溢れていると思っている。

僕は彼らと距離を取るためにあえて離れている。

僕は彼らに「本当にそれをあなたたちが言わないといけないのか」と問いたい。

僕は彼らと同じ土俵に立つ愚を犯さないようにしたい。

僕は本当に優しい世界を見てみたい。

聖人ぶるのはやめて、自分も間違っているかもしれないと慎重になって、思いやりをもって行動したい。

平凡な世界

僕は自分が特別な存在だとずっと信じていたい。

でもこの世界は、なかなかそれを許してくれない。

僕はたとえどれだけ否定されようとも、この世界を否定しない。

挑み続けてやる。

ある時、友は言った。

自分が特別だと思った時、それは自惚れに変わると。

その時、僕は思った。

自分が特別だと思わなくなった時、人は平凡になると。

自信とは、自分の可能性を信じられることだと思うから。

僕はいつまでも自信を持っていたいし、僕の存在を叫ぶためには、自信を持っていないといけないと思っている。

 

みんな同じでみんな違う

僕らは、日本人はどうだとかB型がなんだとか、とにかくみんなにあてはまる共通点はないかと躍起になって探している。

でも、共通点に当てはまらないものがいれば、あの人は違うとそれを特別扱いする。

それが羨望の眼差しなのか蔑視なのかは分からないけど。

共通点や違いなんていう当たり前でどうでもいいただのデータを得意げに語ってなんになるのだろう。

僕は、共通点や違いを気にすることなく、自分自身の価値を自分で見出して生きていきたい。

勝った負けた、一緒違うなんて、くだらねえ。

比較するのは過去の自分ただ一人よ。

 

神は細部に宿る

好きな音楽のビートに合わせて歩く。

エレベータを降りる時、誰も乗ってこなければ、閉めるボタンを押して出る。

自分が大きな力を手に入れた時の妄想をしておく。

そんな人とは違うちょっとした遊び心や思いやり、イメージトレーニングが、僕たちの人生の隠し味になる。

僕たちは所詮、記憶の中の住人に過ぎない。

そこで生き続けられるほど、波瀾万丈な人生を送れるかは分からない。

でも、何気ない日常をどう色付けるかで、生き様の見え方も変わっくると信じている。

いつかは忘れられるけど、忘れられるその日まで輝いていたい。

もう一人の自分

人なら誰しも他人と比較したことがあるだろう。

しかし、そもそも自分と他人を比較することは本当にできるのだろうか。

他人と比較するということは、外から両者を見ているということで、あたかももう一人の客観的な視点を持つ自分が現れているような気がする。

その客観的な視点を持つ自分は、当然自分の全てを知っているが、比較する他人の全てなどは知りようがない。

だから、自分と他人を公平に見ることなどできないはずだ。

とはいえ、そう簡単に他者との比較をやめられるほど人間できちゃいないだろう。

やっぱり比較して、時には嫉妬し、時には安堵するのが人の性だ。

どうせ比べて惨めになってしまうくらいなら、いっそのこと自分を贔屓すればいい。

自分を幸せにしてくれない他人を妬むより、一番自分にとって価値のある存在である自分を褒めてあげよう。

今日も自分という一人の人間の一日を完遂したんだから、それは自分にしかできない立派なことだよ。