うつの心を震わせろ〜成功への道標〜

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うるさいけれど優しい人

緊張すると腹が鳴るしゲップも出る、寝ててもいびきをかくし、おならも出る。

もちろん我慢をしようとするが、どうしようもない時がほとんどだ。

そんな時は、それらの音をかき消すために、鼻をすすってみたり、唾を飲み込んだり、咳をしたりする。

そして結局、うるさい人になってしまう。

静寂の中、音を出すのは恥ずかしいし、誰かをイライラさせたり、不快にさせるかもしれない。

だから、誰かとずっと一緒にいる時は、リラックスなんてできない。

どんなに気の知れた相手でも、それが原因で、その関係を壊したくないからだ。

とは言え、自然と気を遣うのが癖付いているから、周りの人からの信頼度も高い。

すると余計に、失態は許されないと感じてしまう。

それでも、孤独には耐えられないし、人と接していたいと思っている。

そんな言いたいことも言えない心の代わりに、身体が叫んでいるのかもしれない。

うまくいかなくても心を開いて、自分の素を出していけばいいんだと思う。

そんなことくらいで崩れるような関係性なら、こっちから願い下げだ。

思いやる心さえ失わなければ、きっと全部うまくいく。

静かだけど意地悪な人か、うるさいけれど優しい人なら、僕は後者を選ぶよ。

するなって言うな

口答えするな。

開き直るな。

質問に質問で返すな。

屁理屈言うな。

これらは、誰かと話し合っている時、言われたら腹が立つ言葉である。

なぜなら、どれだけ相手が間違っていようと、このような言葉を言われるともはやその後は議論にならないからだ。

だから、僕たちはこんな言葉で相手の反論を封じるような、卑怯なことをするのはやめよう。

相手を黙らるのではなく、お互いに向き合って、納得するまで話し合おう。

それでもこのような言葉を使う人たちには、いつまでたっても物事の本質など見えはしない。

口答えしたり、開き直ったり、質問に質問で返したり、屁理屈言ったりすることの、何がどう問題なのかを言えもしないのに、ただ相手を押さえつけるなんてどうかしている。

そもそも、それが本当に口答えだったり、開き直りだったり、屁理屈だったりするのかも、大いに疑問である。

また、質問に質問で返すなと言うのも、最初の質問に問題がある可能性もある。

とにかく、話し合いの場に上から目線の傲慢な罵声を用いることは、けっしてあってはならないと強く思うのだ。

死ぬ気があるなら、、、

死ぬ気があるなら死ぬ気で生きてみろって言う人がいる。

でも、どうやったって生きていけそうにない時はあると思う。

それに、死にたいと思っている人は、もうすでに死ぬ気で生きているはずだ。

死は最大の防御である。

死という最期があるから、僕たちは精一杯生きていける。

だからこそ、自殺した人を責めることなんて誰にもできないのだ。

じゃあ、死にたい人は死ねばいいと思うのかと問われれば、そうは思わないとはっきり言える。

人類の歴史は、前の世代の人間が次の世代の人間へと何かを伝えたり遺したりして、時代を繋ぐことで成り立ってきた。

だから、たとえ死ぬとしてもその前に遺書以外の何かを遺してほしいと思う。

その人が生きてきて得た気づきや世界観を見せてほしいと心の底から思うのだ。

それが深みにはまった者の使命でもあると思う。

満足のいく生きた証をこの世界に刻んでなお死にたいなら、もう僕には引き留めようがないけど、本当に満足している人は死にたいなんて思わないはずだろう。

死にたいと思っているなら、最後に自分の納得のいく何かを遺すことを考えてほしい。

自分には何が遺せるか、それだけを考えて生きてほしい。

それがきっと生きがいになるはずだから。

僕にとってはこのブログこそ、その生きがいになっている。

自分の納得できるモノになるには、どうやら人生は短すぎるようだ。

人見知り

電話を取るのもかけるのも苦手。

心の準備にかなり時間がかかる。

話し始めが苦手。

「あっ」とか「えっ」とか、少し声を出さないと話し出せない。

自己紹介が苦手。

自分の何を話せばいいのか、頭が真っ白になる。

初対面の人の名前を聞いて覚えるのが苦手。

初対面の人との会話ばかりに気を取られて、名前を聞き逃したり、忘れてしまったりする。

テンションを合わせるのが苦手。

仲の良い人でも、最後に会った時の自分のテンションを忘れてしまう。

3人以上は苦手。

話すタイミングが分からなくなる。

感情を出すのが苦手。

後からこうしておけば良かったと後悔ばかりしてしまう。

相手の目を見るのが苦手。

自分の心を読まれる気がして緊張する。

無音が苦手。

図書館や試験会場などの静かにしなきゃいけないところは特に居づらい。

沈黙も苦手。

気まずくなりたくないけど、何を話せばいいのか分からなくて、だんだん沈黙を破れる間ではなくなっていくから、結局空気のようになるしかない。

笑顔が苦手。

意識すればするほど、表情がかたくなっていく。

気を遣うのが苦手。

気を遣っても動きはぎこちないし、逆に迷惑にならないかなど考えすぎてしまう。

大勢の前は苦手。

手足や声は震えるし、汗も出てくる。

一人も苦手。

特に風呂場では嫌なことを思い出したり、悪い妄想をしたりしてしまう。

他にも苦手なことはたくさんある。

でも、それって相手を大切に思っているからだよね。

もちろん失敗して自分が傷つきたくないっていうのもあるだろうけど、きっと相手をきずつけたくない、迷惑をかけたくない、不快な思いをさせたくないって気持ちが人一倍強いんだよ。

そんな優しい人見知りさんたちには、胸を張って生きてほしい。

お正月2024

あけましておめでとうございます。

 

毎年思うことだが、今年の僕は去年の僕より成長しているのだろうか。

まあ、成長しているということにしておこう。

何かができるようになったということは一つも無いけれど。

今年の目標などと、いちいち毎年目標を立てることもめんどうだから決めていない。

人生の目標は、世界をほんの少しでも今より生きやすくすること、ただ一つだ。

これからも好きなことだけして生きていきたい。

ただ不思議と僕は、僕がいつか死ぬとはまだ信じきれていない。

 

今年もよろしくお願いします。

 

違う

オナラをしたおじさんが僕を睨んだ。

すると、みんなも僕を睨んだ。

違う違う違う。

でも僕は足早にその場を立ち去った。

 

だいぶ昔に書いた実話を元にした小話だ。

くだらないと思ってもらって構わない。

くだらないのだから。

嫌な出来事も時間がたてば笑い話さ。

 

今年も当ブログを読んでいただきありがとうございました。

来年もよろしくお願いします。

切り替え

急に今までとは全く違う、新たな気持ちに切り替えるのは非常に難しい。

いつから始めようと、物事を始めるのに遅いなんてことはないと言われる。

しかし、受験勉強を試験の一か月前から始めたとしたら、少し遅すぎると言わざるをえないだろう。

また、勉強を始めたとしても、どうせ受からなくてそれまで勉強しなかったことを後悔する上に、受からなければすべて無駄になると思えば、勉強にますます身が入らなくなる。

要するに、今までの自分を、これからの自分が否定し、さらに今までの自分の生き方を後悔してしまうのが恐ろしいのだ。

しかし、期限のある受験ような特殊なものでなければ、勉強することに遅いなんてことはないのかもしれない。

だから、一歩踏み出すことはとても大切なのだと思う。

同じように、これまで死にたいと思って生きてきた人も、生きたいと思えるようになるには相当な気持ちの切り替えが必要だろう。

それは、生きたいと思うようになると、これまで死にたいと思って生きてきた人生を悔やむことになると思い込んでしまうからだ。

でも、後悔したって生きたいと思って生きられればそれでいいじゃないか。

今までの自分の生き方を否定するわけじゃなく、ただ自分の成長を認めてあげるだけでいいんだ。

そうすればきっと後悔する間もないくらい、充実した人生になると信じてる。

人間は死ぬ最期の一瞬まで成長できる。

前に進めるかどうかは、僕らの気持ちの持ちよう次第だ。

死ぬまで今のこの一瞬一瞬を、思いのまま時には流れに身を任せて生きていこう。